④ 旅の行き先

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大吉の言葉の意味が分からず、マルが前のめりに聞き返しました。
「旅が目的地?どういうこと?どこかへ行くのが旅じゃないの?」
「そうよ。アタシたちは旅を目指して旅をしているのよ。」
笑っていた福ちゃんが、一層可笑しそうに答えました。
「どういうこと?」
不思議がるマルに、腕を組みながら大吉が呟きます。
「下ばかり向いてる君には、分からないかも、しれにゃいね。」
ウンウン、と頷きながら、福ちゃんが空を指差して言いました。
「行き先がないんなら、せめて顔を上げてごらんなさいよ。」

そう言われて見上げたマルの目には、みずみずしく実ったブドウや、枝葉の向こうに広がる真っ青な空が飛び込んできました。知らないうちに、マルは葡萄畑に迷い込んでいたようです。
そして辺りを見渡すと、高山の美しい山並みが広がり、葡萄畑の周りには色とりどりの花が咲いているではありませんか。穏やかな鳥のさえずりが心を落ち着けてくれて、不意に吹く風が心地よく頬をなぞります。

さっきまで真っ暗なトンネルを歩いているみたいだったのに…。
世界はこんなに鮮やかで、大きくて、優しかったなんて。

突然目に飛び込んできた景色に圧倒されているマルを、大吉と福ちゃんが微笑みながら見守っています。
「どう?きれいでしょ?」
福ちゃんがニコッと白い歯を見せながら言いました。
「オイラたちは世界中、ありとあらゆる場所を渡り歩いた。中でもここは、飛び抜けて美しい場所さ。」
大吉の言葉も耳に入らないくらい、マルは素晴らしい景色に見とれて、ただただ佇んでいまいた。

「マル。」
優しく見守っていた大吉がマルに呼びかけました。
「世界を変える鍵が分かったかにゃ?」
「え?」
大吉は突然の問いかけに理解が追いつかないマルの手を握り、何かを手渡しました。
「これって…。」
その手に握られたものを見て、マルは驚いてまた言葉を失います。それは今朝、家でママンに投げつけた、あのヒビの入ったコルクだったのです。
「どうして大吉が持ってるの?」

仙人みたいな大吉の瞳が、より一層深みを増しました。
「ただここにあるべきものがあるだけさ。」
マルは答えを求めて大吉をじっと見つめましたが、大吉はそれ以上何も言いませんでした。しばらく考えていたマルですが、やがて諦めたように笑みをこぼします。
「うん。分かった、…気がする。」
大きく頷く大吉。自信なさげにマルが付け加えます。
「たぶん。」
「それでいいよ。」
静かに笑い合うマルと大吉。周りの全てにビクビクして、大吉の声にも驚いていた時よりも、随分と力の抜けたマルがいました。

マルはヒビの入ったコルクをキュッと握り、改めて空を見上げました。
「世界を変える鍵かぁ。今いる場所が、こんなにきれいなとこだなんて気づかなかったなぁ。」
吹っ切れたように清々しい表情のマルを、福ちゃんが覗き込みます。
「世界を変えるには、顔を上げるだけで十分ってことね。」
ふわふわと笑う大吉。
「それも正解。」
まっすぐに空を見つめるマルに、大吉が尋ねました。
「出会いで世界は変わるんだ。マルには大切な出会いはあるかい?」

大吉の問いかけにマルは、去年の夏に拾われた日のお祝いをしてくれたとき、ママンに言われた言葉を思い出しました。

あの日、ママンはワイン、マルや他の猫たちはミルクで乾杯して、ママンの得意料理のレンズ豆のスープにマルの好物のハムを入れた特製バーズデースープをみんなで飲みました。
食事のあと、ケーキに刺さった一本のローソクの火を吹き消したマル。みんなから拍手をもらって照れるマルを抱きしめて、ママンは言いました。

「あなたと出会えなかったら、私はあなたのママになることができなかったのよ。ママにしてくれて、ありがとう。」

ママンの言葉を思い出して、マルはハッとして呟きました。

「ママンと出会わなければ、僕はずっと迷子だった。」

そう言ったマルの頬に、一筋の涙が伝いました。
「行き先は、決まったかい?」
ゆったりと聞く大吉に、
「うん。」
と一言、しっかりと大吉を見据えてマルは答えました。

「マル〜〜。」
そのとき、遠くからママンの声が響きました。他の猫たちと一緒にマルを探しにきたようです。
「君の行き先の方が、君を探してるみたいだ。」
大吉が声の方を見やりながら言いました。福ちゃんがマルの背中をポンと押します。
「ほら、早く行ってあげなさいよ。」
最初は少し戸惑っていたマルですが、握られたコルクの感触を確かめて言いました。
「うん。ありがとう。」

ママンたちの方へと走りかけて、ふとマルは振り返りました。
「一緒に行こうよ。みんなにも会ってほしいんだ。」
ずっとクスクス笑いだった福ちゃんが、静かに微笑みました。大吉も一息ついて優しく答えます。
「ありがとう。でもオイラたちは旅猫(トラベリングキャッツ)。行きたいときに、行きたいとこに行くだけさ。」
「そっか…。」
マルは少しさみしい気持ちになりました。そんなマルを促すように大吉が言葉をかけます。
「また来年もおいで。今度は冒険の旅に連れてってあげよう。」
「ま、次来たときにアタシたちがここにいるかは分からないけどね。」
と、いたずらっぽく福ちゃん。マルも自然と笑顔になります。迷いを振り払うように、すうっと深呼吸したマル。
「またね。」
そう言って、マルは2人に手を振りました。

振り返ることなくママンたちの方へとまっすぐに駆け寄って行くマル。近づいてくるマルの姿を見つけたクロが叫びました。
「あ、ママン、マルがいたよ!」
「マル!」
ミカサも嬉しそうにマルの名前を呼びます。

大きく手を広げるママンの胸に飛び込んだマル。カギしっぽが嬉しそうに揺れています。ママンは安心して、涙を浮かべながらマルの頭を撫でます。
ママンの優しい手にくしゃくしゃにされながら、マルはなんとか声を出しました。
「ママン。」
マルの声に気付かず、ずっと頭を撫でたり頬ずりしたりし続けるママン。マルが何度も何度もママンを呼ぶので、やっと手を止めて「ゴメン、ゴメン。」と謝りました。

「なぁに?マル?」
いつもは伏し目がちなマルが、しっかりとママンの目を見つめます。そして、力強い口調で、高山の山並みに響くような声で言いました。
「僕、ママンの子どもになれてよかった。ありがとう!」